「歴代さん」。

シンプルな一覧表とともに、歴代の◯◯を紹介します。歴史をつくってきたレジェンドへのリスペクトを込めつつ、「そういえば、そうだったかな」と、酒のつまみ程度に愉しんでいただければ嬉しいです。

IWGPインターコンチネンタル歴代王者一覧/本格的な‟中邑真輔後”へ。

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白いベルトは、‟エース”から‟49歳”へ。。

 1月28日の札幌大会で、挑戦者鈴木みのるが王者棚橋弘至を下し、第17代のIWGPインターコンチネンタル王者となりました。そこで今回は、歴代のIWGPインターコンチネンタル王座を振り返っていきます。

 元々は2011年5月の新日本プロレスのアメリカ興行「NJPW INVASION TOUR 2011 〜ATTACK ON EAST COAST〜」に際して創設され、現地での3日間のトーナメント(8名参加)で初代王者が決定されました。事前に大々的な盛り上げがあったわけでもなく、アメリカ進出に付随したオマケ的に生まれたタイトルだったわけです。“大陸間王者”というタイトルの名前からも、アメリカをはじめとする海外戦略を見越したオプションとして育てたかったのでしょう。

 初代王座をMVPが戴冠した後も、しばらくはこのタイトルに本流のIWGPヘビー級王座経験者が挑戦するようなこともなく、いわば“格下”のベルトという位置づけでした。

この流れを変えたのが第4代王者・中邑真輔でした。彼こそが、IWGPインターコンチネンタル王座の象徴と言っていいでしょう。下の歴代王者一覧を見ていきましょう。

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IWGPインターコンチネンタル王座 歴代王者一覧】 

王者 戴冠日 防衛
17 鈴木みのる 2018年1月27日  
16 棚橋弘至 2017年6月11日 4
15 内藤哲也 2016年9月25日 4
14 マイケル・エルガン 2016年6月19日 1
13 ケニー・オメガ 2016年2月14日 1
12 中邑真輔 2015年9月27日 2
11 後藤洋央紀 2015年5月3日 1
10 中邑真輔 2014年9月21日 3
9 バッドラック・ファレ 2014年6月21日 0
8 中邑真輔 2014年4月6日 1
7 棚橋弘至 2014年1月4日 1
6 中邑真輔 2013年7月20日 3
5 ラ・ソンブラ 2013年5月31日 1
4 中邑真輔 2012年7月22日 8
3 後藤洋央紀 2012年2月12日 2
2 田中将斗 2011年10月10日 3
1 MVP 2011年5月15日 2

 

中邑真輔が価値を持たせたベルト。 

 創設が2011年と歴史が浅いため、新王者鈴木みのるを含めて歴代王者はのべ17人です。前述したように、当初はその存在価値が微妙なベルトでした。王者にも挑戦者にも、本流のIWGPヘビー級王座を獲得した選手は絡んでいません。そしてベルト創設から1年2か月で挑戦者として立ったのが、当時すでに3度のIWGPヘビー級王者経験を持つ中邑真輔でした。彼が第4代王者となり、独自の色でIWGPインターコンチネンタル王座のベルトを染め上げていく中で、ベルトの価値が高まり、急速にタイトルとしての“格”も得ていくことになります。

 中邑は同タイトル最多の5度の戴冠をしていますが、まず最初の戴冠となった第4代王者時代に、現在でも歴代最多記録となっている8度の防衛を果たしています。この8度の防衛のうち6度が外国人選手相手の防衛。“大陸間王者”な感じを残しつつ、挑戦者も豪華になっていきます。4度目の防衛戦となった2013年のイッテンヨン東京ドームでは、レジェンド桜庭和志を挑戦者に迎えています(※中邑は通算防衛記録もぶっちぎりとなる17回を保持)。

 また、2度目の戴冠となった第6代王者時代には、丸藤正道鈴木みのるという日本人ビッグネームを挑戦者に迎え、棚橋弘至に王座を奪われるという流れでした。こうなってくると、もはや易々と挑戦できるベルトではなくなってきます。

 極めつけは2014年1月4日イッテンヨン東京ドーム大会で、「ダブルメインイベント」と言われた一戦です。第6代王者時代の中邑が、4度目の防衛戦の挑戦者として棚橋弘至を迎えた一戦。一方ではIWGPヘビー級選手権として、王者オカダ・カズチカに前年G1王者の内藤哲也が挑むという、通常であれば絶対にメインとなるカードが組まれていました。しかし、手塚社長の中邑VS棚橋というカードへの思い入れの強さもあり、どちらがメインイベント(一番最後に行う試合)になるべきか、ファン投票で争われることに。結果、最高権威であるIWGPヘビー級選手権を押さえ、インターコンチがメインイベントとなったのです。この時が、IWGPインターコンチネンタル王座のひとつのピークでしょう。

 こうして完全に中邑の色に染められた(実際にベルトのデザインも中邑の要望で変更となった)インターコンチ王座は、彼を軸とすることで独自の価値を維持していました。しかし、元々の成り立ちの定義が弱いこともあり、中邑の退団(2016年1月)以降は徐々に意味合いが揺らぎ出しているように見えます。棚橋、内藤、ケニー・オメガといったスター選手中心のタイトル戦線が組まれているものの、第15代王者内藤はその価値を否定。今回49歳の鈴木が新王者となり、45歳の真壁刀義が挑戦に名乗りを上げたかに見える状況は、このベルトの方向性がいよいよ変わっていくことを予感させます。

 同時に、こちらも新設ベルトのIWGP USヘビー級初代王者ケニー・オメガが、ジェイ・ホワイトに敗れ王座陥落。IWGPヘビーと合わせ、3本のベルトの位置づけの再編が行われていくことでしょう。

‟スターの居場所”としての機能は終わったのか。 

 中邑真輔という新日本プロレスの看板選手と、新設タイトルのIWGPインターコンチネンタル王座は、ある意味で幸せな補完関係にあったように見えます。

 本来は最高位のIWGPヘビー級王座を争うべき中邑。しかし、同門ユニット‟CHAOS”のオカダ・カズチカが次世代のスター選手としてその座に君臨し続けるようになり、同門の中邑自身はIWGPヘビー級王座戦線に絡みづらくなったという状況がありました。

 一方のIWGPインターコンチネンタル王座は、‟横綱級”が絡まないマッチメークで、価値を高めることができずにいたタイトルです。両者はいわゆるWINWINの関係だったのでしょう。中邑は最高権威の戦線から外れながらも、看板選手としての格を維持したまま独自路線を展開できる。インターコンチは、中邑の色に染まり切ることで、マッチメークや試合内容など、あらゆる面で格を上げられるわけですから。

 このように中邑が築いてきた‟スター選手と新設ベルトの補完関係”ですが、現状の新日本プロレスに当てはめることは難しい状況です。現IWGPヘビー級王者オカダと並び立つスター選手は、棚橋弘至内藤哲也、そして外国人エースとしてのケニー・オメガというところでしょう。しかし中邑の時と異なる状況として、棚橋は本隊、内藤はロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン、オメガはバレットクラブ(1月28日に離脱)と、それぞれが別ユニットに属しており、格的にも堂々とIWGPヘビー級を争うべきポジションにいること。

 最近は棚橋弘至がややIWGPヘビー級の主流戦線から外れ気味ですが、とは言えIWGPヘビー級においては中邑をはるかに凌ぐ史上最高の実績を持つスター選手です。あえてインターコンチを棚橋色に染めていくという意味づけ、動機づけにおいて、やはり弱くなってしまいます。また内藤哲也は、現在の新日本で最も重要なヒールであり、実績的にもまだまだIWGPヘビー級をこそ目指すべき存在です。ケニー・オメガも王座陥落したものの、IWGP USヘビー級という新タイトルとの関係性もあり、すぐにインターコンチネンタルに向きを変える意味づけは容易ではない状況です。

 中邑真輔が非常に賢く活用したIWGPインターコンチネンタル王座。象徴を失ってから2年が経ち、いよいよ改革を迫られる時期に来ているように思えます。IWGPヘビー、USヘビーと合わせて、次のステージにステップアップしてほしいものです。

 

 さて、余談ですが新王者となった鈴木みのる。今でこそ「世界一性格の悪い男」として、あらゆるリングで悪行をつくしていますが、元々は新日本プロレスでデビューした選手です。キャリア全盛期(ある意味今かもしれませんが・・・)の若き日は、「パンクラス」で活躍しました。所属団体のカラーもありますが、今の姿からは想像もつかない試合スタイルです。「本当に強いのは誰なのか」。みんながそれを模索していた、格闘技界の青春のような時期でした。結局、答えはない。そんな答えが、すでに出ているような気がします。

 


Minoru Suzuki vs Jason Delucia 1994 12 16

以上です。※敬称略

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