冬季五輪歴代開催地と日本人金メダリスト/冬季五輪(1)
こんにちは。平昌五輪の開幕(2月9日)が近づいてきました。そこで今回は、これまでの冬季五輪歴代開催地と、日本人金メダリストを振り返ってみます。
早速見ていきましょう。
↓
回 | 年 | 開催場所 | 国 | 金メダリスト | 種目 |
---|---|---|---|---|---|
23 | 2018 | 平昌 | 韓国 | ? | |
22 | 2014 | ソチ | ロシア | 羽生結弦 | フィギュアスケート男子シングル |
21 | 2010 | バンクーバー | カナダ | ||
20 | 2006 | トリノ | イタリア | 荒川静香 | フィギュアスケート女子シングル |
19 | 2002 | ソルトレークシティ | アメリカ | ||
18 | 1998 | 長野 | 日本 | 西谷岳文 | ショートトラックスピードスケート500m |
斉藤浩哉、岡部孝信、原田雅彦、舟木和喜 | ジャンプラージヒル団体 | ||||
舟木和喜 | ジャンプラージヒル | ||||
里谷多英 | フリースタイルスキーモーグル | ||||
清水宏保 | スピードスケート500m | ||||
17 | 1994 | リレハンメル | ノルウェー | 荻原健司、阿部雅史、河野孝典 | スキーノルディック複合団体 |
16 | 1992 | アルベールビル | フランス | 荻原健司、三ヶ田礼一、河野孝典 | スキーノルディック複合団体 |
15 | 1988 | カルガリー | カナダ | ||
14 | 1984 | サラエボ | ユーゴスラビア | ||
13 | 1980 | レークプラシッド | アメリカ | ||
12 | 1976 | インスブルック | オーストリア | ||
11 | 1972 | 札幌 | 日本 | 笠谷幸生 | スキージャンプ70m級 |
10 | 1968 | グルノーブル | フランス | ||
9 | 1964 | インスブルック | オーストリア | ||
8 | 1960 | スコーバレー | アメリカ | ||
7 | 1956 | コルチナ・ダンペッツオ | イタリア | ||
6 | 1952 | オスロ | ノルウェー | ||
5 | 1948 | サンモリッツ | スイス | ||
5 | 1944 | コルチナ・ダンペッツオ | イタリア | ||
5 | 1940 | 札幌 | 日本 | ||
4 | 1936 | ガルミッシュパルテンキルヒェン | ドイツ | ||
3 | 1932 | レークプラシッド | アメリカ | ||
2 | 1928 | サンモリッツ | スイス | ||
1 | 1924 | シャモニー | フランス |
過去22回の開催で、日本人が獲得できた金メダルの数は10。しかもそのうちの6個が自国開催時のものです(72年札幌1、98年長野5)。夏季五輪での歴代金メダル獲得数が142(34回開催)ということから考えると、冬季五輪で金メダルを獲ることがいかに難しいかがわかります。
期待されるのは国民的スーパースターの羽生結弦ですが、怪我の影響が非常に心配です。過去、複数の金メダルを獲得したのは“キング・オブ・スキー”荻原健司と、長野五輪で異次元の活躍を見せた舟木和喜の2名のみ(いずれも2個)。その彼らでさえ、個人での連覇は成し得ていません(荻原は団体での連覇、舟木は個人と団体での獲得)。
スピードスケート女子の小平奈緒や、チームパシュートは、直前実績からしてもやってくれそうですが、やっぱり一番盛り上がるのはこのスーパースターの活躍ですからね。怪我の回復を祈ります!
以上です。※敬称略
最多優勝者ロイ・エマーソンって誰? 全豪オープン歴代優勝者一覧/テニス(1)
どうなる? 2018年グランドスラム初戦
こんにちは。今回は間もなく開幕する、テニスの全豪オープン歴代優勝者についてです。残念ながら錦織圭(世界ランキング24位)が欠場を発表し、元世界1位でBIG4の一角、アンディ・マリー(英国・19位)も臀部の手術のために欠場。入れ替わるように半年ぶりの復帰を果たしたノバク・ジョコビッチ(セルビア・14位)が早速エキシビジョンマッチで世界ランキング5位のティエムを下すなど、混戦模様の本大会ですが、ブックメーカーの優勝予想オッズではロジャー・フェデラー(スイス・2位)が一番人気となっています。
BIG4の絶対性が揺らいだ今の時代こそ、錦織優勝のチャンスだと思っていたので、長引く欠場はとても残念ですが、万全の状態で復帰してもらいましょう。新世代の突き上げも激しく、世界ランキングトップ10のうち6人が錦織(89年12月生まれ)より若い90年代生まれと、時代が変わっていくことに怖さもありますが。
新たなグランドスラム制覇者誕生の可能性も十分な2018年の全豪オープン。歴代の優勝者を振り返ってみましょう。
▼
【全豪オープン歴代優勝者/2017年まで】
年 | 優勝者 | 国籍 | 回数 |
---|---|---|---|
2017 | ロジャー・フェデラー | スイス | 5 |
2016 | ノバク・ジョコビッチ | セルビア | 6 |
2015 | ノバク・ジョコビッチ | セルビア | 5 |
2014 | スタニスラス・ワウリンカ | スイス | 1 |
2013 | ノバク・ジョコビッチ | セルビア | 4 |
2012 | ノバク・ジョコビッチ | セルビア | 3 |
2011 | ノバク・ジョコビッチ | セルビア | 2 |
2010 | ロジャー・フェデラー | スイス | 4 |
2009 | ラファエル・ナダル | スペイン | 1 |
2008 | ノバク・ジョコビッチ | セルビア | 1 |
2007 | ロジャー・フェデラー | スイス | 3 |
2006 | ロジャー・フェデラー | スイス | 2 |
2005 | マラト・サフィン | ロシア | 1 |
2004 | ロジャー・フェデラー | スイス | 1 |
2003 | アンドレ・アガシ | アメリカ | 4 |
2002 | トーマス・ヨハンソン | スウェーデン | 1 |
2001 | アンドレ・アガシ | アメリカ | 3 |
2000 | アンドレ・アガシ | アメリカ | 2 |
1999 | エフゲニー・カフェルニコフ | ロシア | 1 |
1998 | ペトル・コルダ | チェコ | 1 |
1997 | ピート・サンプラス | アメリカ | 2 |
1996 | ボリス・ベッカー | ドイツ | 2 |
1995 | アンドレ・アガシ | アメリカ | 1 |
1994 | ピート・サンプラス | アメリカ | 1 |
1993 | ジム・クーリエ | アメリカ | 2 |
1992 | ジム・クーリエ | アメリカ | 1 |
1991 | ボリス・ベッカー | ドイツ | 1 |
1990 | イワン・レンドル | チェコスロバキア | 2 |
1989 | イワン・レンドル | チェコスロバキア | 1 |
1988 | マッツ・ビランデル | スウェーデン | 3 |
1987 | ステファン・エドベリ | スウェーデン | 2 |
1986 | 大会開催なし | 大会開催なし | |
1985 | ステファン・エドベリ | スウェーデン | 1 |
1984 | マッツ・ビランデル | スウェーデン | 2 |
1983 | マッツ・ビランデル | スウェーデン | 1 |
1982 | ヨハン・クリーク | アメリカ | 2 |
1981 | ヨハン・クリーク | 南アフリカ | 1 |
1980 | ブライアン・ティーチャー | アメリカ | 1 |
1979 | ギリェルモ・ビラス | アルゼンチン | 2 |
1978 | ギリェルモ・ビラス | アルゼンチン | 1 |
1977 | ビタス・ゲルレイティス | アメリカ | 1 |
1977 | ロスコー・タナー | アメリカ | 1 |
1976 | マーク・エドモンドソン | オーストラリア | 1 |
1975 | ジョン・ニューカム | オーストラリア | 2 |
1974 | ジミー・コナーズ | アメリカ | 1 |
1973 | ジョン・ニューカム | オーストラリア | 1 |
1972 | ケン・ローズウォール | オーストラリア | 4 |
1971 | ケン・ローズウォール | オーストラリア | 3 |
1970 | アーサー・アッシュ | アメリカ | 1 |
1969 | ロッド・レーバー | オーストラリア | 3 |
1968 | ビル・ボウリー | オーストラリア | 1 |
1967 | ロイ・エマーソン | オーストラリア | 6 |
1966 | ロイ・エマーソン | オーストラリア | 5 |
1965 | ロイ・エマーソン | オーストラリア | 4 |
1964 | ロイ・エマーソン | オーストラリア | 3 |
1963 | ロイ・エマーソン | オーストラリア | 2 |
1962 | ロッド・レーバー | オーストラリア | 2 |
1961 | ロイ・エマーソン | オーストラリア | 1 |
1960 | ロッド・レーバー | オーストラリア | 1 |
1959 | アレックス・オルメド | アメリカ | 1 |
1958 | アシュレー・クーパー | オーストラリア | 2 |
1957 | アシュレー・クーパー | オーストラリア | 1 |
1956 | ルー・ホード | オーストラリア | 1 |
1955 | ケン・ローズウォール | オーストラリア | 2 |
1954 | メルビン・ローズ | オーストラリア | 1 |
1953 | ケン・ローズウォール | オーストラリア | 1 |
1952 | ケン・マグレガー | オーストラリア | 1 |
1951 | ディック・サビット | アメリカ | 1 |
1950 | フランク・セッジマン | オーストラリア | 2 |
1949 | フランク・セッジマン | オーストラリア | 1 |
1948 | エイドリアン・クイスト | オーストラリア | 3 |
1947 | ディニー・ペイルズ | オーストラリア | 1 |
1946 | ジョン・ブロムウィッチ | オーストラリア | 2 |
1945 | ※戦争のため開催なし | ||
1944 | ※戦争のため開催なし | ||
1943 | ※戦争のため開催なし | ||
1942 | ※戦争のため開催なし | ||
1941 | ※戦争のため開催なし | 大会開催なし | |
1940 | エイドリアン・クイスト | オーストラリア | 2 |
1939 | ジョン・ブロムウィッチ | オーストラリア | 1 |
1938 | ドン・バッジ | アメリカ | 1 |
1937 | ビビアン・マグラス | オーストラリア | 1 |
1936 | エイドリアン・クイスト | オーストラリア | 1 |
1935 | ジャック・クロフォード | オーストラリア | 4 |
1934 | フレッド・ペリー | イギリス | 1 |
1933 | ジャック・クロフォード | オーストラリア | 3 |
1932 | ジャック・クロフォード | オーストラリア | 2 |
1931 | ジャック・クロフォード | オーストラリア | 1 |
1930 | エドガー・ムーン | オーストラリア | 1 |
1929 | コリン・グレゴリー | イギリス | 1 |
1928 | ジャン・ボロトラ | フランス | 1 |
1927 | ジェラルド・パターソン | オーストラリア | 1 |
1926 | ジョン・ホークス | オーストラリア | 1 |
1925 | ジェームズ・アンダーソン | オーストラリア | 3 |
1924 | ジェームズ・アンダーソン | オーストラリア | 2 |
1923 | パット・オハラウッド | オーストラリア | 2 |
1922 | ジェームズ・アンダーソン | オーストラリア | 1 |
1921 | リス・ゲメル | オーストラリア | 1 |
1920 | パット・オハラウッド | オーストラリア | 1 |
1919 | アルガーノン・キングスコート | イギリス | 1 |
1918 | ※戦争のため開催なし | ||
1917 | ※戦争のため開催なし | ||
1916 | ※戦争のため開催なし | ||
1915 | ゴードン・ロウ | イギリス | 1 |
1914 | アーサー・オハラウッド | オーストラリア | 1 |
1913 | アーニー・パーカー | オーストラリア | 1 |
1912 | ジェームズ・パーク | イギリス | 1 |
1911 | ノーマン・ブルックス | オーストラリア | 1 |
1910 | ロドニー・ヒース | オーストラリア | 2 |
1909 | アンソニー・ワイルディング | ニュージーランド | 2 |
1908 | フレッド・アレクサンダー | アメリカ | 1 |
1907 | ホーレス・ライス | オーストラリア | 1 |
1906 | アンソニー・ワイルディング | ニュージーランド | 1 |
1905 | ロドニー・ヒース | オーストラリア | 1 |
やはりBIG4というだけあって、フェデラーが初優勝した2003年以来、14大会のうち12大会をフェデラー、ジョコビッチ、ナダルの3人で制しています。特にジョコビッチの優勝回数6回と、フェデラーの5回は、100年以上の歴史をもつ本大会の歴代優勝者を見ても圧倒的です。
ただ、歴史上一人だけ、ジョコビッチとフェデラーに比肩する実績の選手がいるじゃありませんか。
ロイ・エマーソン。
すいません、テニスに詳しくない私は聞いたこともありませんが、60年代に4大大会を12回も制したレジェンドということです。優勝回数(6回)と連覇回数(5回)で全豪の記録も持っています。これだけ見ると「すげー!!」と思いますが、当時のテニス4大大会は1968年にオープン化されるまで、プロの参加できないアマチュア限定の大会だったそうです。恥ずかしながら、初めて知りました。
実力者でありながら、プロ転向せずにアマチュアにとどまったからこそ挙げられた実績だったようですね。オープン化された1968年以降、エマーソンは一度も4大大会のシングルを制することはできなかったそうです(※ダブルスでは69年全豪と71年ウィンブルドンで優勝)。
やっぱりBIG4って凄いっす。。。
Roger Federer vs Rafael Nadal - Australian Open 2017 Final (highlights HD)
以上です。 ※敬称略
sarasarasarari.hatenadiary.jp
平成の歴代優勝力士/大相撲(1)
2017年後半は、何かと不祥事で盛り上がってしまった大相撲。不穏な空気が漂いますが、2018年の初場所を前に、今回は多くのレジェンドを輩出してきた平成の歴代優勝力士を振り返ってみたいと思います。
90年代を席巻した若貴ブームから、モンゴル人力士の活躍著しい近年までを改めて表にしてみると、2000年代の凄まじい外国出身力士の勝ちっぷりが一目瞭然です。下の表では、今や希少となった日本出身力士の優勝に色付けしてみました。
下の方までスクロールしないと、あまり出てきませんが(苦笑)、横綱貴乃花はもちろんのこと、現日本相撲協会理事長の八角親方(北勝海)や、日馬富士と一緒に貴乃花親方を訪問して会えなかった伊勢ケ濱親方(旭富士)も出てきますよ。
▼
【大相撲歴代優勝力士/平成元年~29年】
場所 | 優勝力士 | 通算 |
---|---|---|
2017年(平成29年)11月 | 白鵬 | 40 |
2017年(平成29年)9月 | 日馬富士 | 9 |
2017年(平成29年)7月 | 白鵬 | 39 |
2017年(平成29年)5月 | 白鵬 | 38 |
2017年(平成29年)3月 | 稀勢の里 | 2 |
2017年(平成29年)1月 | 稀勢の里 | 1 |
2016年(平成28年)11月 | 鶴竜 | 3 |
2016年(平成28年)9月 | 豪栄道 | 1 |
2016年(平成28年)7月 | 日馬富士 | 8 |
2016年(平成28年)5月 | 白鵬 | 37 |
2016年(平成28年)3月 | 白鵬 | 36 |
2016年(平成28年)1月 | 琴奨菊 | 1 |
2015年(平成27年)11月 | 日馬富士 | 7 |
2015年(平成27年)9月 | 鶴竜 | 2 |
2015年(平成27年)7月 | 白鵬 | 35 |
2015年(平成27年)5月 | 照ノ富士 | 1 |
2015年(平成27年)3月 | 白鵬 | 34 |
2015年(平成27年)1月 | 白鵬 | 33 |
2014年(平成26年)11月 | 白鵬 | 32 |
2014年(平成26年)9月 | 白鵬 | 31 |
2014年(平成26年)7月 | 白鵬 | 30 |
2014年(平成26年)5月 | 白鵬 | 29 |
2014年(平成26年)3月 | 鶴竜 | 1 |
2014年(平成26年)1月 | 白鵬 | 28 |
2013年(平成25年)11月 | 日馬富士 | 6 |
2013年(平成25年)9月 | 白鵬 | 27 |
2013年(平成25年)7月 | 白鵬 | 26 |
2013年(平成25年)5月 | 白鵬 | 25 |
2013年(平成25年)3月 | 白鵬 | 24 |
2013年(平成25年)1月 | 日馬富士 | 5 |
2012年(平成24年)11月 | 白鵬 | 23 |
2012年(平成24年)9月 | 日馬富士 | 4 |
2012年(平成24年)7月 | 日馬富士 | 3 |
2012年(平成24年)5月 | 旭天鵬 | 1 |
2012年(平成24年)3月 | 白鵬 | 22 |
2012年(平成24年)1月 | 把瑠都 | 1 |
2011年(平成23年)11月 | 白鵬 | 21 |
2011年(平成23年)9月 | 白鵬 | 20 |
2011年(平成23年)7月 | 日馬富士 | 2 |
2011年(平成23年)5月 | 白鵬 | 19 |
2011年(平成23年)3月 | ※本場所中止 | |
2011年(平成23年)1月 | 白鵬 | 18 |
2010年(平成22年)11月 | 白鵬 | 17 |
2010年(平成22年)9月 | 白鵬 | 16 |
2010年(平成22年)7月 | 白鵬 | 15 |
2010年(平成22年)5月 | 白鵬 | 14 |
2010年(平成22年)3月 | 白鵬 | 13 |
2010年(平成22年)1月 | 朝青龍 | 25 |
2009年(平成21年)11月 | 白鵬 | 12 |
2009年(平成21年)9月 | 朝青龍 | 24 |
2009年(平成21年)7月 | 白鵬 | 11 |
2009年(平成21年)5月 | 日馬富士 | 1 |
2009年(平成21年)3月 | 白鵬 | 10 |
2009年(平成21年)1月 | 朝青龍 | 23 |
2008年(平成20年)11月 | 白鵬 | 9 |
2008年(平成20年)9月 | 白鵬 | 8 |
2008年(平成20年)7月 | 白鵬 | 7 |
2008年(平成20年)5月 | 琴欧洲 | 1 |
2008年(平成20年)3月 | 朝青龍 | 22 |
2008年(平成20年)1月 | 白鵬 | 6 |
2007年(平成19年)11月 | 白鵬 | 5 |
2007年(平成19年)9月 | 白鵬 | 4 |
2007年(平成19年)7月 | 朝青龍 | 21 |
2007年(平成19年)5月 | 白鵬 | 3 |
2007年(平成19年)3月 | 白鵬 | 2 |
2007年(平成19年)1月 | 朝青龍 | 20 |
2006年(平成18年)11月 | 朝青龍 | 19 |
2006年(平成18年)9月 | 朝青龍 | 18 |
2006年(平成18年)7月 | 朝青龍 | 17 |
2006年(平成18年)5月 | 白鵬 | 1 |
2006年(平成18年)3月 | 朝青龍 | 16 |
2006年(平成18年)1月 | 栃東 | 3 |
2005年(平成17年)11月 | 朝青龍 | 15 |
2005年(平成17年)9月 | 朝青龍 | 14 |
2005年(平成17年)7月 | 朝青龍 | 13 |
2005年(平成17年)5月 | 朝青龍 | 12 |
2005年(平成17年)3月 | 朝青龍 | 11 |
2005年(平成17年)1月 | 朝青龍 | 10 |
2004年(平成16年)11月 | 朝青龍 | 9 |
2004年(平成16年)9月 | 魁皇 | 5 |
2004年(平成16年)7月 | 朝青龍 | 8 |
2004年(平成16年)5月 | 朝青龍 | 7 |
2004年(平成16年)3月 | 朝青龍 | 6 |
2004年(平成16年)1月 | 朝青龍 | 5 |
2003年(平成15年)11月 | 栃東 | 2 |
2003年(平成15年)9月 | 朝青龍 | 4 |
2003年(平成15年)7月 | 魁皇 | 4 |
2003年(平成15年)5月 | 朝青龍 | 3 |
2003年(平成15年)3月 | 千代大海 | 3 |
2003年(平成15年)1月 | 朝青龍 | 2 |
2002年(平成14年)11月 | 朝青龍 | 1 |
2002年(平成14年)9月 | 武蔵丸 | 12 |
2002年(平成14年)7月 | 千代大海 | 2 |
2002年(平成14年)5月 | 武蔵丸 | 11 |
2002年(平成14年)3月 | 武蔵丸 | 10 |
2002年(平成14年)1月 | 栃東 | 1 |
2001年(平成13年)11月 | 武蔵丸 | 9 |
2001年(平成13年)9月 | 琴光喜 | 1 |
2001年(平成13年)7月 | 魁皇 | 3 |
2001年(平成13年)5月 | 貴乃花 | 22 |
2001年(平成13年)3月 | 魁皇 | 2 |
2001年(平成13年)1月 | 貴乃花 | 21 |
2000年(平成12年)11月 | 曙 | 11 |
2000年(平成12年)9月 | 武蔵丸 | 8 |
2000年(平成12年)7月 | 曙 | 10 |
2000年(平成12年)5月 | 魁皇 | 1 |
2000年(平成12年)3月 | 貴闘力 | 1 |
2000年(平成12年)1月 | 武双山 | 1 |
1999年(平成11年)11月 | 武蔵丸 | 7 |
1999年(平成11年)9月 | 武蔵丸 | 6 |
1999年(平成11年)7月 | 出島 | 1 |
1999年(平成11年)5月 | 武蔵丸 | 5 |
1999年(平成11年)3月 | 武蔵丸 | 4 |
1999年(平成11年)1月 | 千代大海 | 1 |
1998年(平成10年)11月 | 琴錦 | 2 |
1998年(平成10年)9月 | 貴乃花 | 20 |
1998年(平成10年)7月 | 貴乃花 | 19 |
1998年(平成10年)5月 | 若乃花 | 5 |
1998年(平成10年)3月 | 若乃花 | 4 |
1998年(平成10年)1月 | 武蔵丸 | 3 |
1997年(平成9年)11月 | 貴ノ浪 | 2 |
1997年(平成9年)9月 | 貴乃花 | 18 |
1997年(平成9年)7月 | 貴乃花 | 17 |
1997年(平成9年)5月 | 曙 | 9 |
1997年(平成9年)3月 | 貴乃花 | 16 |
1997年(平成9年)1月 | 若乃花 | 3 |
1996年(平成8年)11月 | 武蔵丸 | 2 |
1996年(平成8年)9月 | 貴乃花 | 15 |
1996年(平成8年)7月 | 貴乃花 | 14 |
1996年(平成8年)5月 | 貴乃花 | 13 |
1996年(平成8年)3月 | 貴乃花 | 12 |
1996年(平成8年)1月 | 貴ノ浪 | 1 |
1995年(平成7年)11月 | 若乃花 | 2 |
1995年(平成7年)9月 | 貴乃花 | 11 |
1995年(平成7年)7月 | 貴乃花 | 10 |
1995年(平成7年)5月 | 貴乃花 | 9 |
1995年(平成7年)3月 | 曙 | 8 |
1995年(平成7年)1月 | 貴乃花 | 8 |
1994年(平成6年)11月 | 貴乃花 | 7 |
1994年(平成6年)9月 | 貴ノ花 | 6 |
1994年(平成6年)7月 | 武蔵丸 | 1 |
1994年(平成6年)5月 | 貴ノ花 | 5 |
1994年(平成6年)3月 | 曙 | 7 |
1994年(平成6年)1月 | 貴ノ花 | 4 |
1993年(平成5年)11月 | 曙 | 6 |
1993年(平成5年)9月 | 曙 | 5 |
1993年(平成5年)7月 | 曙 | 4 |
1993年(平成5年)5月 | 貴ノ花 | 3 |
1993年(平成5年)3月 | 若花田 | 1 |
1993年(平成5年)1月 | 曙 | 3 |
1992年(平成4年)11月 | 曙 | 2 |
1992年(平成4年)9月 | 貴花田 | 2 |
1992年(平成4年)7月 | 水戸泉 | 1 |
1992年(平成4年)5月 | 曙 | 1 |
1992年(平成4年)3月 | 小錦 | 3 |
1992年(平成4年)1月 | 貴花田 | 1 |
1991年(平成3年)11月 | 小錦 | 2 |
1991年(平成3年)9月 | 琴錦 | 1 |
1991年(平成3年)7月 | 琴富士 | 1 |
1991年(平成3年)5月 | 旭富士 | 4 |
1991年(平成3年)3月 | 北勝海 | 8 |
1991年(平成3年)1月 | 霧島 | 1 |
1990年(平成2年)11月 | 千代の富士 | 31 |
1990年(平成2年)9月 | 北勝海 | 7 |
1990年(平成2年)7月 | 旭富士 | 3 |
1990年(平成2年)5月 | 旭富士 | 2 |
1990年(平成2年)3月 | 北勝海 | 6 |
1990年(平成2年)1月 | 千代の富士 | 30 |
1989年(平成元年)11月 | 小錦 | 1 |
1989年(平成元年)9月 | 千代の富士 | 29 |
1989年(平成元年)7月 | 千代の富士 | 28 |
1989年(平成元年)5月 | 北勝海 | 5 |
1989年(平成元年)3月 | 千代の富 | 27 |
1989年(平成元年)1月 | 北勝海 | 4 |
2000年代以降、のべ「107」(※2011年3月場所は八百長疑惑によって本場所中止)の優勝力士数に対して、日本出身力士の優勝は「19」。確率にして17.7%、つまり5回に1回も優勝していないことになります。当たり前ですが外国出身力士の優勝回数は「88」。中でも傑出した実績を持つ白鵬(40回)、朝青龍(25回)、日馬富士(9回)の3人だけで、優勝回数は「74」を数えます。※平成全体で見ると、日本出身力士の優勝は173場所中66場所の38.1%。
個人的にスポーツの国際化には賛成派ですが、“大相撲は単にスポーツではなく文化”的な考え方もあるでしょうし、それが間違っているとは思いません。一般社会と同じで、明文化されない“もやっとした慣習”も多々あるでしょうし、ある意味それこそが文化といえるのかもしれないです。ただ、人生を賭けて来日してくる若者たちをこれだけ受け入れているわけですから、“明文化されていないけれど重要なこと”を予備知識のない人に理解してほしいのならば、ハッキリ「もやっとした部分があるけど心得てね」「本当に言いたいことはこういうことなのよ」と、内々には示すべき時代なんではないでしょうか。
大相撲が、よき方向に向かうことを祈ります。
★★★まとめ★★★
■平成の大相撲における日本出身力士の優勝は、
173場所中66場所。勝率38.1%。
■2000年代以降の日本出身力士の優勝は、
107場所中19場所。勝率17.7%。
■過去10年では4回。
・稀勢の里 2回(2017年1月、3月)
・豪栄道 1回(2016年9月)
・琴奨菊 1回(2016年1月)
横綱とはなんなのか・・・。
以上です。
※敬称略
オカダ・カズチカが連続防衛記録の歴代3位に浮上!/IWGPヘビー級王座(5)
プロレス界の正月の風物詩、“イッテンヨン”東京ドーム大会で、オカダ・カズチカが内藤哲也の挑戦を退け、9度目の防衛を果たしました。
これによって、オカダの連続防衛記録は歴代3位タイに浮上。
【IWGPヘビー級歴代連続防衛記録】
順位 | 王者 | 代 | 戴冠日 | 防衛 |
---|---|---|---|---|
1 | 棚橋弘至 | 56 | 2011年1月4日 | 11 |
2 | 永田裕志 | 31 | 2002年4月5日 | 10 |
3 | 橋本真也 | 16 | 1994年5月1日 | 9 |
3 | オカダ・カズチカ | 65 | 2016年6月19日 | 9 |
5 | オカダ・カズチカ | 59 | 2013年4月7日 | 8 |
6 | 棚橋弘至 | 58 | 2012年6月16日 | 7 |
6 | 橋本真也 | 19 | 1996年4月29日 | 7 |
6 | 藤波辰巳 | 3 | 1988年6月24日 | 7 |
9 | 中邑真輔 | 53 | 2009年9月27日 | 6 |
10 | 佐々木健介 | 26 | 2000年1月4日 | 5 |
10 | 武藤敬司 | 24 | 1999年1月4日 | 5 |
10 | 武藤敬司 | 17 | 1995年5月3日 | 5 |
10 | グレート・ムタ | 13 | 1992年8月16日 | 5 |
14 | 武藤敬司 | 49 | 2008年4月27日 | 4 |
14 | 棚橋弘至 | 45 | 2006年7月17日 | 4 |
14 | スコット・ノートン | 23 | 1998年9月23日 | 4 |
14 | 橋本真也 | 14 | 1993年9月20日 | 4 |
14 | 長州力 | 12 | 1992年1月4日 | 4 |
14 | ビッグバン・ベイダー | 7 | 1989年8月10日 | 4 |
14 | アントニオ猪木 | 1 | 1987年6月12日 | 4 |
21 | オカダ・カズチカ | 63 | 2015年7月5日 | 3 |
21 | 真壁刀義 | 54 | 2010年5月3日 | 3 |
21 | 棚橋弘至 | 50 | 2009年1月4日 | 3 |
21 | ブロック・レスナー | 44 | 2005年10月8日 | 3 |
21 | 高山善廣 | 32 | 2003年5月2日 | 3 |
21 | 佐々木健介 | 20 | 1997年8月31日 | 3 |
21 | 藤波辰爾 | 11 | 1991年3月4日 | 3 |
28 | AJスタイルズ | 60 | 2014年5月3日 | 2 |
28 | オカダ・カズチカ | 57 | 2012年2月12日 | 2 |
28 | 中邑真輔 | 48 | 2008年1月4日 | 2 |
28 | 永田裕志 | 46 | 2007年4月13日 | 2 |
28 | 佐々木健介 | 39 | 2004年10月9日 | 2 |
28 | 藤田和之 | 29 | 2001年4月9日 | 2 |
28 | 藤波辰爾 | 21 | 1998年4月4日 | 2 |
35 | 内藤哲也 | 64 | 2016年4月10日 | 1 |
35 | AJスタイルズ | 62 | 2015年2月11日 | 1 |
35 | 棚橋弘至 | 61 | 2014年10月13日 | 1 |
35 | 小島聡 | 55 | 2010年10月11日 | 1 |
35 | 棚橋弘至 | 52 | 2009年9月27日 | 1 |
35 | 棚橋弘至 | 47 | 2007年10月8日 | 1 |
35 | 天山広吉 | 42 | 2005年5月14日 | 1 |
35 | 小島聡 | 41 | 2005年2月20日 | 1 |
35 | 藤田和之 | 38 | 2004年6月5日 | 1 |
35 | ボブ・サップ | 37 | 2004年3月28日 | 1 |
35 | 天山広吉 | 35 | 2004年2月15日 | 1 |
35 | 中邑真輔 | 34 | 2003年12月9日 | 1 |
35 | 安田忠夫 | 30 | 2002年2月16日 | 1 |
35 | 佐々木健介 | 27 | 2001年1月4日 | 1 |
35 | 高田延彦 | 18 | 1996年1月4日 | 1 |
35 | 長州力 | 8 | 1990年8月19日 | 1 |
51 | 中西学 | 51 | 2009年5月6日 | 0 |
51 | 藤田和之 | 43 | 2005年7月18日 | 0 |
51 | 天山広吉 | 40 | 2004年12月12日 | 0 |
51 | 佐々木健介 | 36 | 2004年3月12日 | 0 |
51 | 天山広吉 | 33 | 2003年11月3日 | 0 |
51 | スコット・ノートン | 28 | 2001年3月17日 | 0 |
51 | 天龍源一郎 | 25 | 1999年12月10日 | 0 |
51 | 蝶野正洋 | 22 | 1998年8月8日 | 0 |
51 | 藤波辰爾 | 15 | 1994年4月4日 | 0 |
51 | ビッグバン・ベイダー | 10 | 1991年1月17日 | 0 |
51 | 藤波辰爾 | 9 | 1990年12月26日 | 0 |
51 | 長州力 | 6 | 1989年7月12日 | 0 |
51 | サルマン・ハシミコフ | 5 | 1989年5月25日 | 0 |
51 | ビッグバン・ベイダー | 4 | 1989年4月24日 | 0 |
51 | 藤波辰巳 | 2 | 1988年5月8日 | 0 |
今回オカダが“9”という数字でタイに並んだのは橋本真也(故人、2005年没)。元祖「ミスターIWGP」ともいうべき大選手でした。晩年は小川直也との因縁や新日本プロレス退団など、IWGP戦線の王道からは外れてしまいましたが、武藤敬司、蝶野正洋とともに「闘魂三銃士」と呼ばれた全盛期の活躍は、今でもプロレス史に燦然と輝く栄光です。
アンコ型の体型からは想像できないスピーディで多彩なキック、見るからに危険な投げ技の数々で、「破壊王」の異名と共に一時代を築きました。130kgを超える巨体でハードな技を連発し、本当に相手を破壊するかのような凄みがありました。
現在のプロレスは、武藤敬司的なスタイルの流れを汲んでいるので、もう橋本真也のような選手がメインのスターになることはないかもしれません。現王者オカダ・カズチカもまだ20代と若く、過去のレジェンド達をはるかに置き去りにするような、異次元の記録をつくっていく可能性が十分にあります。しかし、棚橋弘至時代以降のプロレスファンは、IWGPヘビー級ベルトを語るうえで外すことのできないレジェンド・橋本真也の勇姿を、代名詞でもある入場曲「爆勝宣言」とともに是非覚えておいてほしいのです。
プロレスラーの入場曲でこれほど盛り上がるものって、本当になかったんだから!
40歳という若さで、この世を去ったことが残念でなりません。
★★★まとめ★★★
歴代3位タイの連続防衛記録9回に到達。
■歴代3位タイで並んだのは橋本真也。
■歴代1位は、棚橋弘至の11回連続防衛。
歴代2位は、永田裕志の10回連続防衛。
以上です。
※敬称略
チャンピオンズリーグ 歴代得点王一覧/チャンピオンズリーグ(5)
こんにちは。
今回はチャンピオンズリーグの歴代得点王一覧です。
前身のチャンピオンクラブズカップ時代からの通算記録です。
先にメッシとクリスティアーノ・ロナウドの記録について書いてからでないと気持ちが悪かったので、それは前回書いた通りです。
彼らふたりの凄さは別次元のものとして、ここからは懐かしい歴代レジェンドさん達を見ていきましょう。
【チャンピオンズリーグ歴代得点王一覧】
メッシやクリロナ以前にも、一時代を築いたストライカーがずらりと並びます。
私が現役時代を記憶しているのはロマーリオ、パパンあたりまでで、その頃に史上最高のストライカーのひとりと評価されていたファン・バステンは、残念ながら怪我で引退間際でした。初めてリアルタイムで彼の姿を目にしたのは、サン・シーロ(ACミランのホームスタジアム)に引退の挨拶で姿を現した時でした。ただ当時の私にも、スタジアムを包む悲しみの大きさがひしひしと伝わってきたのは覚えています。当時はYouTubeのような便利なものもなかったので、近所のレンタルビデオ店にファン・バステンの活躍が観られるビデオを借りに行ったものです。
確かにファン・バステンのゴール集は素晴らしかったのですが、私の中で最も印象的なダッチマンは、CLで通算得点記録4位、3度のCL得点王にも輝いているルート・ファン・ニステルローイです。
Ruud van Nistelrooy - Best Goals for Man Utd
今にして見れば、史上最高のストライカーのひとりでしょうが、当時は「世界じゃ普通にこういうヤツがポコポコ出てくるんだ。。。」と、世界との距離を感じたものです。フィジカルだけでなく、テクニカルなゴールも多く、大好きなストライカーでした。
今回は以上です。今後はもっと細かくCLの歴代記録について書いていきたいと思います。
※敬称略
オカダ・カズチカのIWGP防衛記録が歴代4位タイに!/IWGPヘビー級王座(4)
こんにちは。
10月9日の両国国技館大会において、第65代王者オカダ・カズチカが、挑戦者EVILを退けて防衛に成功したことで、IWGPヘビー級の歴代連続防衛記録に動きがありました。
オカダは試合前の時点で歴代5位タイの7回防衛。これが今回の防衛で歴代4位タイの8回へと記録を伸ばしました。
第59代王者時代の自身の記録に並んだことになります。
【IWGPヘビー級王座 歴代連続防衛記録(2017.10.9時点)】
順位 | 王者 | 代 | 戴冠日 | 防衛 |
---|---|---|---|---|
1 | 棚橋弘至 | 56 | 2011年1月4日 | 11 |
2 | 永田裕志 | 31 | 2002年4月5日 | 10 |
3 | 橋本真也 | 16 | 1994年5月1日 | 9 |
4 | オカダ・カズチカ | 59 | 2013年4月7日 | 8 |
4 | オカダ・カズチカ | 65 | 2016年6月19日 | 8 |
6 | 棚橋弘至 | 58 | 2012年6月16日 | 7 |
6 | 橋本真也 | 19 | 1996年4月29日 | 7 |
6 | 藤波辰巳 | 3 | 1988年6月24日 | 7 |
9 | 中邑真輔 | 53 | 2009年9月27日 | 6 |
10 | 佐々木健介 | 26 | 2000年1月4日 | 5 |
10 | 武藤敬司 | 24 | 1999年1月4日 | 5 |
10 | 武藤敬司 | 17 | 1995年5月3日 | 5 |
10 | グレート・ムタ | 13 | 1992年8月16日 | 5 |
14 | 武藤敬司 | 49 | 2008年4月27日 | 4 |
14 | 棚橋弘至 | 45 | 2006年7月17日 | 4 |
14 | スコット・ノートン | 23 | 1998年9月23日 | 4 |
14 | 橋本真也 | 14 | 1993年9月20日 | 4 |
14 | 長州力 | 12 | 1992年1月4日 | 4 |
14 | ビッグバン・ベイダー | 7 | 1989年8月10日 | 4 |
14 | アントニオ猪木 | 1 | 1987年6月12日 | 4 |
21 | オカダ・カズチカ | 63 | 2015年7月5日 | 3 |
21 | 真壁刀義 | 54 | 2010年5月3日 | 3 |
21 | 棚橋弘至 | 50 | 2009年1月4日 | 3 |
21 | ブロック・レスナー | 44 | 2005年10月8日 | 3 |
21 | 高山善廣 | 32 | 2003年5月2日 | 3 |
21 | 佐々木健介 | 20 | 1997年8月31日 | 3 |
21 | 藤波辰爾 | 11 | 1991年3月4日 | 3 |
28 | AJスタイルズ | 60 | 2014年5月3日 | 2 |
28 | オカダ・カズチカ | 57 | 2012年2月12日 | 2 |
28 | 中邑真輔 | 48 | 2008年1月4日 | 2 |
28 | 永田裕志 | 46 | 2007年4月13日 | 2 |
28 | 佐々木健介 | 39 | 2004年10月9日 | 2 |
28 | 藤田和之 | 29 | 2001年4月9日 | 2 |
28 | 藤波辰爾 | 21 | 1998年4月4日 | 2 |
35 | 内藤哲也 | 64 | 2016年4月10日 | 1 |
35 | AJスタイルズ | 62 | 2015年2月11日 | 1 |
35 | 棚橋弘至 | 61 | 2014年10月13日 | 1 |
35 | 小島聡 | 55 | 2010年10月11日 | 1 |
35 | 棚橋弘至 | 52 | 2009年9月27日 | 1 |
35 | 棚橋弘至 | 47 | 2007年10月8日 | 1 |
35 | 天山広吉 | 42 | 2005年5月14日 | 1 |
35 | 小島聡 | 41 | 2005年2月20日 | 1 |
35 | 藤田和之 | 38 | 2004年6月5日 | 1 |
35 | ボブ・サップ | 37 | 2004年3月28日 | 1 |
35 | 天山広吉 | 35 | 2004年2月15日 | 1 |
35 | 中邑真輔 | 34 | 2003年12月9日 | 1 |
35 | 安田忠夫 | 30 | 2002年2月16日 | 1 |
35 | 佐々木健介 | 27 | 2001年1月4日 | 1 |
35 | 高田延彦 | 18 | 1996年1月4日 | 1 |
35 | 長州力 | 8 | 1990年8月19日 | 1 |
51 | 中西学 | 51 | 2009年5月6日 | 0 |
51 | 藤田和之 | 43 | 2005年7月18日 | 0 |
51 | 天山広吉 | 40 | 2004年12月12日 | 0 |
51 | 佐々木健介 | 36 | 2004年3月12日 | 0 |
51 | 天山広吉 | 33 | 2003年11月3日 | 0 |
51 | スコット・ノートン | 28 | 2001年3月17日 | 0 |
51 | 天龍源一郎 | 25 | 1999年12月10日 | 0 |
51 | 蝶野正洋 | 22 | 1998年8月8日 | 0 |
51 | 藤波辰爾 | 15 | 1994年4月4日 | 0 |
51 | ビッグバン・ベイダー | 10 | 1991年1月17日 | 0 |
51 | 藤波辰爾 | 9 | 1990年12月26日 | 0 |
51 | 長州力 | 6 | 1989年7月12日 | 0 |
51 | サルマン・ハシミコフ | 5 | 1989年5月25日 | 0 |
51 | ビッグバン・ベイダー | 4 | 1989年4月24日 | 0 |
51 | 藤波辰巳 | 2 | 1988年5月8日 | 0 |
試合後に、2018年1月4日東京ドーム大会、“イッテンヨン”のメインイベントがオカダ・カズチカ 対 内藤哲也のIWGPヘビー級選手権になることが決定しました。
オカダがこの戦いに勝てば、橋本真也の9回と並び、歴代3位タイに浮上することとなります。
新日本の未来を背負っていく使命のオカダ・カズチカは、どこまで記録を伸ばすことができるでしょうか。
★★★まとめ★★★
■オカダ・カズチカがEVILとの防衛戦に勝利、
歴代4位タイの8回連続防衛記録となった。
■内藤哲也との1.4対決に勝利すれば、
歴代3位タイ(9回)に浮上する。
■歴代1位は、棚橋弘至の11回連続防衛。
歴代2位は、永田裕志の10回連続防衛。
以上です。
※敬称略
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メッシとクリスティアーノ・ロナウドのUCL得点記録/チャンピオンズリーグ(4)
こんにちは。
今回からチャンピオンズリーグの個人得点の歴代記録について書いていきたいと思います。
ですが、お察しの通り個人記録は“あの二人”に塗り替えられすぎてしまい、彼ら二人の記録とイコールです。
ですので、懐かしさとともに歴代レジェンドさん達を振り返る前に、彼ら二人の金字塔をおさらいしておきます。
言わずと知れたリオネル・メッシ(アルゼンチン)とクリスティアーノ・ロナウド(ポルトガル)の得点記録です。
彼らのCLデビューは、クリスティアーノ・ロナウドが2003-04シーズン、メッシが2005-06シーズンです。
今回はふたりが初めてCLの得点ランキングトップ10に入った2007-08シーズン以降の歴代得点王から、彼ら二人の活躍を振り返りましょう。
なぜトップ10に入ったとくくりながら得点王しか振り返らないかというと、以下の状況だからです。
↓
【CL歴代得点王 2007-08シーズン以降】
年 | 得点王 |
---|---|
2007-08 | クリスティアーノ・ロナウド |
2008-09 | リオネル・メッシ |
2009-10 | リオネル・メッシ |
2010-11 | リオネル・メッシ |
2011-12 | リオネル・メッシ |
2012-13 | クリスティアーノ・ロナウド |
2013-14 | クリスティアーノ・ロナウド |
2014-15 | リオネル・メッシ |
クリスティアーノ・ロナウド | |
ネイマール | |
2015-16 | クリスティアーノ・ロナウド |
2016-17 | クリスティアーノ・ロナウド |
そうです。
彼らが初めてトップ10入り(いきなり得点王ですが)した2007-08シーズンから現在まで10シーズン、必ず彼ら二人のうちどちらかが得点王になっているからです。
2014-15シーズンに、よやくネイマールがタイ記録で割って入りましたが、並んだ二人はやはりメッシとクリロナです。。。
確認しておきますが、これはリーガ・エスパニョーラ(スペイン1部リーグ)の記録ではありません。世界の強豪チームだけが集まるチャンピオンズリーグでの記録です。
回数でいうと、メッシは4年連続を含む5回、クリロナは5年連続を含む6回、それぞれ得点王に輝いています。
“クリロナのあとにメッシが4年連続、そのあとまたクリロナが5年連続”。
ここ10年のCL得点王は、こんなに簡単に覚えられるんです(^▽^;)
当然、積み上げた通算得点も半端ないです。
【CL歴代通算得点記録(予選含む/2017.10.14時点)】
順位 | 選手名 | 国籍 | 得点 |
---|---|---|---|
1 | クリスティアーノ・ロナウド | ポルトガル | 109 |
2 | リオネル・メッシ | アルゼンチン | 96 |
3 | ラウール・ゴンサレス | スペイン | 71 |
4 | ルート・ファン・ニステルローイ | オランダ | 60 |
5 | アンドリー・シェフチェンコ | ウクライナ | 59 |
6 | カリム・ベンゼマ | フランス | 51 |
6 | ティエリ・アンリ | フランス | 51 |
8 | フィリッポ・インザーギ | イタリア | 50 |
9 | ズラタン・イブラヒモビッチ | スウェーデン | 49 |
9 | アルフレッド・ディ・ステファノ | スペイン | 49 |
11 | エウゼビオ | ポルトガル | 47 |
12 | ディディエ・ドログバ | コートジボワール | 44 |
12 | アレッサンドロ・デル・ピエロ | イタリア | 44 |
14 | ロベルト・レヴァンドフスキ | ポーランド | 41 |
15 | トーマス・ミュラー | ドイツ | 39 |
ちょっとどうやって追い付いたらいいかわかりません。
彼らの引退後、試合数を倍に増やすくらいしか現実的な方法が見当たりません。。。
試合数の関係で近代の選手の方が有利であることは間違いないですが、それでもとてつもないハイペースです。
クリスティアーノ・ロナウドとリオネル・メッシの登場以来、サッカーの記録は劇的に塗り替えられ続けています。
まずは圧倒的に特別な存在として、このふたりのCLにおけるゴール記録をおさらいしました。
★★★まとめ★★★
■2007-08シーズン以降、現在まで10シーズン、
すべてメッシかロナウドがCL得点王。
■メッシは4年連続を含む5回、
ロナウドは5年連続を含む6回、
CL得点王に輝いている。
■CLの歴代通算得点記録は、
1位がロナウドの109点、
2位がメッシの96点、
3位はラウールの71点。
10代からレアルで活躍し続けたラウールでさえも、二人の前では「わずか71点」に見えてしまいます。。
今回は以上です。
※敬称略